[製作家情報] イグナシオ・フレタ1世(1897~1977)Ignacio Fleta I により設立され、のちに二人の息子フランシスコ(1925~200?)とガブリエル(1929~2013)との共作となる、スペイン、バルセロナの工房。このブランドを愛用した、または現在も愛用し続けている数々の名手たちの名を挙げるまでもなく、20世紀後半以降を代表する銘器の一つとして、いまも不動の人気を誇っています。
生まれはスペイン、アラゴン州テルエル(Teruel)県の村Huesa del Comun。アラゴン州が隣国フランスと近接する地域で中世からのお互いの文化的な交流が他の州よりも盛んで、現在も音楽や特に言語的な影響が色濃く残っており、アラゴン語にはスペイン語よりもフランス語に近い発音が多いことはフレタ1世のギターにおけるある種のフランス性(それゆえにフレタをスペインギターと認めないという声もあるほど)を語るうえで注目すべき点といえるでしょう。フレタ家はもともと家具製作など木工を生業とする家系で、イグナシオも幼少からそのような環境に馴染みがありました。13歳(一説には14歳)の頃に兄弟とともにバルセロナで楽器製作工房の徒弟となり、更に研鑽を積むためフランスでPhilippe Le Ducの弦楽器工房でチェロなどのヴァイオリン属の製作を学びます。その後フレタ兄弟共同でバルセロナに工房を設立し、ギターを含む弦楽器全般を製作するブランドとして第一次大戦前後でかなりの評判となりますが、1927年に工房は解散。イグナシオは自身の工房を設立し、彼の製作するチェロやヴァイオリンをはじめとする弦楽器は非常に好評でその分野でも名声は高まってゆきます。同時に1930年ごろからトーレスタイプのギターも製作していましたが(この時期バルセロナ派のギター製作家 Enrique Coll に指導を受けており、Collは名工Francisco Simplicio の弟子にあたります)、1955年に名手セゴビアの演奏に触れ、そのあまりの素晴らしさに感動し、以後はギター製作へと完全に転向することになります。フレタは巨匠の演奏から霊感をも受けたのか、その新モデルはトーレススタイルとは全く異なる発想によるものとなり、1957年に製作した最初のギターをセゴビアに献呈。すると彼はその音響にいたく感動し、自身のコンサートで使用したことで一気にフレタギターは世界的な名声を得ることになります。それまでのギターでは聞くことのできなかった豊かな音量、ダイナミズム、そしてあまりにも独特で甘美な音色でまさしくこのブランドにしかできない音響を創り上げ、セゴビア以後ジョン・ウィリアムスやアルベルト・ポンセなどをはじめとして数多くの名手たちが使用し、20世紀を代表する名器の一つとなりました。
当初はIgnacio Fletaラベルで出荷され、1965年製作のNo.359よりラベルには「e hijos」と記されるようになります(※実際には1964年製作のものより~e hijos となっておりフレタ本人の記憶違いの可能性があります)。1977年の1世亡き後も、また2000年代に入りフランシスコとガブリエルの二人も世を去ったあともなお、「Ignacio Fleta e hijos」ラベルは継承され、現在は1世の孫にあたるガブリエル・フレタが製作を引き継いでいます。
ネック:セドロ
指 板:エボニー
塗 装:表板 セラック
:横裏板 セラック
糸 巻:フステーロ
弦 高:1弦 3.3mm
:6弦 4.5mm
[製作家情報]
イグナシオ・フレタ1世(1897~1977)Ignacio Fleta I により設立され、のちに二人の息子フランシスコ(1925~200?)とガブリエル(1929~2013)との共作となる、スペイン、バルセロナの工房。このブランドを愛用した、または現在も愛用し続けている数々の名手たちの名を挙げるまでもなく、20世紀後半以降を代表する銘器の一つとして、いまも不動の人気を誇っています。
生まれはスペイン、アラゴン州テルエル(Teruel)県の村Huesa del Comun。アラゴン州が隣国フランスと近接する地域で中世からのお互いの文化的な交流が他の州よりも盛んで、現在も音楽や特に言語的な影響が色濃く残っており、アラゴン語にはスペイン語よりもフランス語に近い発音が多いことはフレタ1世のギターにおけるある種のフランス性(それゆえにフレタをスペインギターと認めないという声もあるほど)を語るうえで注目すべき点といえるでしょう。フレタ家はもともと家具製作など木工を生業とする家系で、イグナシオも幼少からそのような環境に馴染みがありました。13歳(一説には14歳)の頃に兄弟とともにバルセロナで楽器製作工房の徒弟となり、更に研鑽を積むためフランスでPhilippe Le Ducの弦楽器工房でチェロなどのヴァイオリン属の製作を学びます。その後フレタ兄弟共同でバルセロナに工房を設立し、ギターを含む弦楽器全般を製作するブランドとして第一次大戦前後でかなりの評判となりますが、1927年に工房は解散。イグナシオは自身の工房を設立し、彼の製作するチェロやヴァイオリンをはじめとする弦楽器は非常に好評でその分野でも名声は高まってゆきます。同時に1930年ごろからトーレスタイプのギターも製作していましたが(この時期バルセロナ派のギター製作家 Enrique Coll に指導を受けており、Collは名工Francisco Simplicio の弟子にあたります)、1955年に名手セゴビアの演奏に触れ、そのあまりの素晴らしさに感動し、以後はギター製作へと完全に転向することになります。フレタは巨匠の演奏から霊感をも受けたのか、その新モデルはトーレススタイルとは全く異なる発想によるものとなり、1957年に製作した最初のギターをセゴビアに献呈。すると彼はその音響にいたく感動し、自身のコンサートで使用したことで一気にフレタギターは世界的な名声を得ることになります。それまでのギターでは聞くことのできなかった豊かな音量、ダイナミズム、そしてあまりにも独特で甘美な音色でまさしくこのブランドにしかできない音響を創り上げ、セゴビア以後ジョン・ウィリアムスやアルベルト・ポンセなどをはじめとして数多くの名手たちが使用し、20世紀を代表する名器の一つとなりました。
当初はIgnacio Fletaラベルで出荷され、1965年製作のNo.359よりラベルには「e hijos」と記されるようになります(※実際には1964年製作のものより~e hijos となっておりフレタ本人の記憶違いの可能性があります)。1977年の1世亡き後も、また2000年代に入りフランシスコとガブリエルの二人も世を去ったあともなお、「Ignacio Fleta e hijos」ラベルは継承され、現在は1世の孫にあたるガブリエル・フレタが製作を引き継いでいます。
[楽器情報]
イグナシオ・フレタ1世 1959年製 No.157 の入荷です。1957年にセゴビアのためのギターを製作してからわずか2年後の作で、この伝説的な文脈で語らずとも、この時期のフレタ1世のギターはその異様な迫力で完全に他のブランドを圧倒する個性にあふれています。セゴビアの激賞を受けながらもフレタは1960年代に入るまで力木やバーの本数や形状、表面板の厚みの設定など1作ごとに異なる試みをしており、そのためこの時期のブランドの音響的な特性を定義するのは非常に難しいものがあります。だれもがその特徴として口にするであろうその豊かな音量と極めてロマンティックな表現力についてさえ、その性質において一本一本が異なるものがあり、まさに生き物のような実在性を感じさせるところなどほとんど芸術的といえるほど。
本作No.157もまた、その非常な音圧の高さとオーディトリアムな音の拡がり、濃密なロマンティシズムを湛えた表情が素晴らしい一本となっています。強い粘りを持つ引き締まった発音が特徴的で、いかにも剛健でありながら、一つ一つの音には濃密な歌のポテンシャルが内包されており、これがフレタ特有の深い奥行きをともなって現出してくる様はやはり比類がありません。また特に低音の、響箱がぶるぶると地響きのように震える響きはまるで弦楽器のようで、クラシックギターの音響体験として稀有と言えます。こうした種々の強いアイデンティティがギター的なバランスの中で対比され融合してゆく、その生々しく、それゆえにこそクラシカルな表現力はやはり圧倒的な個性があります。
表面板の力木配置は、サウンドホール上側(ネック側)に2本、下側(ブリッジ側)に1本のハーモニックバーで、下側のバーは低音側から高音側に向けてほんのわずかに斜めに下がってゆくように設置されています。サウンドホール上側のハーモニックーからネックの付け根に至るエリアまではほぼ完全に2mmほどのやや厚めのプレートでまんべんなく補強されており、さらにサウンドホールの両側(高音側と低音側)は幅4センチほど、厚さ1mm未満の補強プレートが近接する横板のに沿うようにやや斜めに設置されているので、くびれから上はほとんどのエリアが補強されているような形になります。そして左右対称9本の扇状力木とそれらの下端をボトム部で受け止めるようにV字型に配置された2本のクロージングバー、駒板位置にはほぼ同じ面積で1mm未満の厚さの補強プレートが貼られているという全体の構造。レゾナンスはF♯~Gの間に設定されています。扇状力木は全て1センチ程の幅で中央に配置されたものが高さ3mmほどで一番外側のものは1mm未満となっており、全体に平べったい形状をしています(後年になるにしたがって全体に厚みを増してゆきます)。またサウンドホール下側ハーモニックバーは本作では一本でほんのわずかに斜めに設置されていますが、この翌年策では水平の1本と斜めの1本の2本に増えていきます。レゾナンスの位置も変化しており、例えば前年の1958年製ではEの下、1960年のものではGの上となっています。
全体はセラック塗装、おそらくは塗り替え等はなくオリジナルの状態を保持していると思われます。表面板はこの時期のフレタにしばしば見られる現象ですが、ブリッジのサウンドホール側とボトム側とでやや歪みがあり、割れの修理履歴がいくつかございます。指板脇高音側に2箇所、駒板の高音側脇に20センチほどの長い割れ、駒板下低音側からボトムにかけて1か所それぞれ補修歴がありますがいずれも現状で継続使用への影響はありません。横裏板は経年相応の傷や擦れなどありますが外観を損ねるほどではなく、また割れもありません。ネック裏も経年相応の傷がありますが爪による過度の摩耗や通すの剥がれ等には至っておらず、演奏時の感触としては問題のないレベルです。演奏性に関する部分も問題なく、ネックは真っすぐを維持しており、フレットも適正値で特に目立った摩耗はありません。ネック形状はこの時期のフレタ1世の特徴的なほとんどCラウンドに近いDシェイプで、あまりコンパクトすぎずしっかりとしたグリップ感があります。弦高値は3.3/4.5mm(1弦/6弦 12フレット)でサドルに1.0~1.5mmの余剰があります。弦長660mmで弦高値もやや高めの設定ですが弦の張りはさほどに強くなく中庸といえるほどなので、さほどに演奏時のストレスは感じません。糸巻は製作時のままのフステーロ製を装着、機能的な問題はありません。重量は1.65㎏。