ネック:セドロ指 板:エボニー塗 装:セラック糸 巻:ランドスドルファー弦 高:1弦 3.0mm /6弦 3.6mm[製作家情報]ヘルマン・ハウザー1世 Hermann Hauser I (1882~1952)。その比類ない完成度と以後のギター界全体への影響の大きさにおいて、20世紀最大の製作家とされ、現在もクラシックギター至高のモデルとしてフォロワーの絶えない「セゴビアモデル」を世に出したことで知られるドイツ、ミュンヘンのブランド(のちに現在のライスバッハに移ります)です。高名なチター奏者、作曲家で製作もした多才な父ヨーゼフ(1854-1939)の影響を受け、18歳のころより自身もチター製作を始めます。ハウザー家が居を構えていたドイツ、バイエルン州のミュンヘンは当時非常にギター文化が盛んであり、ヘルマンはチターだけでなく合奏用ギターやリュート、そして彼の類まれな製作技術を知ることのできる顕著な例として現在でも有名な「ウィンナモデル」や「ミュンヘンモデル」など、父親に負けず劣らず多様で精力的な製作活動を展開しています。この当時まだトーレスから始まるギターの新たな潮流はドイツには入っていませんでしたが、ミゲル・リョベートそしてアンドレス・セゴビアという二人の名手が演奏旅行に訪れたことで、彼らの奏でる音色とともにスペインギターへの文化的需要が急激な高まりをみせます。ヘルマンは1913年にリョベートに会い、彼の愛器トーレス(おそらく1864年製)に初めて触れ、その構造的革新性と音色の素晴らしさに感動します。そして1916年にもリョベートと再会しその時彼が所有していた1859年製トーレスを仔細に検分する機会を得て本格的にトーレススタイルのスパニッシュギター製作に乗り出します。リョベート自身からも多くのアドバイスを得ていくつもの試作品(と言ってもどれも高度に完成されたものですが)を製作。純粋にトーレスのレプリカに近いものから、それまで自身で作っていた様式とトーレスとを融合したようなものまであり、あるべき音響を求め試行錯誤を繰り返していたことがうかがえます(この時期に製作されたトーレスレプリカのギターは「リョベートモデル」としてのちにハウザー2世、3世によって復刻されます)。そして1924年、ドイツに演奏旅行で訪れた若き日のアンドレス・セゴビアはヘルマンの製作家としての才能を高く評価し、自身が携えてきた1912年製マヌエル・ラミレス(製作は同工房の職工長サントス・エルナンデス)のギターを見せてレプリカの製作を促します。トーレスを再解釈し、より現代的でクラシック音楽の表現にトータルに応え得るマヌエルのギターにヘルマンは感動し、新たに探求と試作を始めます。それから10年以上の時を経て1936年に完成した一本は、トーレス~マヌエル・ラミレスのスタイルを基本としながらハウザー独自の音響感覚を盛り込み極めて高いバランス精度で全体を仕上げたもので、その未聞の音色の素晴らしさにセゴビアは心から感動し「これ以上のものは作らなくてよい」という有名な言葉で称賛しています。その言葉通り、セゴビアは翌年1937年に製作されたヘルマン・ハウザー1世のギターに持ち替え、1962年まで使い続け数多くの名演を生み出してゆくことになるのですが、これがギター史上至高の名品とされる「セゴビアモデル」で、現在の3世、4世(カトリン・ハウザー)に至るまでこのブランドのフラッグシップモデルとなっています。それはギターの完璧な理想形としてグローバルスタンダード化しており、世界中の製作家によって研究、フォローされ、また現在でもギタリストたちの垂涎のアイテムとなっています。ハウザー家は戦禍を逃れミュンヘンからライスバッハに工房を写し、戦後も名品を製作。そのレガシーはハウザー2世(1911~1988)に受け継がれ、よりドイツ的なニュアンスを増した逸品を世に出してゆきます。世界的に有名なオークションではクラシックギターのカテゴリーにおいてトーレス、ロベール・ブーシェと並び最高値で落札されている。[楽器情報]ヘルマン・ハウザー1世 1928年製の入荷です。1924年のセゴビアとの邂逅、そのわずか4年後に製作されたもので、1937年という絶巓へと向かう確かな足取りとして記憶されるべき逸品です。実際にセゴビア自身が翌年1929年の日本を含むアジアツアーの際に1928年製のハウザー1世をコンサートで使用しており、また後年ジュリアン・ブリームがやはり同年製のものを所有していたことはギターファンにとってのコアなエピソードとなっています。またハウザーはこの時期すべてが必然的に実験であるがゆえにかなり多様な作風で製作していますが、上記のセゴビア、ブリームが所有していたものと本器とはほぼ同様のものとして作られていたと思われます。ハウザーによるセゴビアモデルはやや図式的にいえばスペイン的音響のドイツ的洗練化といえるもので、これは例えばフランスの名工ロベール・ブーシェがトーレスから出発し自身の(フランス的な)音響へと至る過程とも比較することのできるもので、1928年の段階ではそのスペイン的ニュアンスがまだ濃厚に感じられることが特徴として挙げられます。のちのハウザーのまるで鍵盤楽器のように定位感のしっかりとしたバランス感ではなく、力強くふくよかな低音(まさにBassとしての)とよく歌うクリアな高音(まさに声としての)との対照を軸にした音響設計で、各弦は異なるアイデンティティを際立たせながら、全体に彫りの深い響きを形成していきます。ここでハウザーは響箱の容量を活かしながら、オーディトリアムな奥行きを作り出すのではなく、むしろ箱全体のエネルギーを音に濃縮するようにして濁りのない音響を生み出していることが特筆されます。そしてその音の連なりが、スペイン的なうねりを持った躍動とは異なり、直線のようにして紡がれてゆくことで各旋律が線的な重層性を際立たせているところなどもすでにのちの1930年代の作風の萌芽を感じ取ることができます。さらに特筆すべきは音自体の異様なまでの説得力で、表現楽器としての非常なポテンシャルはやはりこの時点でのドイツギターにおける極点を示していたと言えるでしょう。表面板力木構造はサウンドホール上側(ネック側)に2本、下側(ブリッジ側)に1本のハーモニックバーを設置。このうち下側のバーは高音側と低音側それぞれに長さ5cm高さ3mmほどの開口部が設けられており、サウンドホールの両脇には1枚づつ薄い補強板が貼られているのですが、これら補強板が一方の端は上側バーのところでぴったりと接しており、もう一方の端は下側バーの開口部を1cm弱ほどくぐり抜けたところまで伸びています。扇状力木は左右対称7本、これらの先端をボトム部で受け止めるようにハの字型に配置された二本のクロージングバーという設計。駒板位置に補強板はありません。ここで特徴的なのは下側ハーモニックバーの開口部をサウンドホール脇の補強板が通過するという配置で、通常は(例えばトーレスをはじめとして)扇状力木のほうがこのようなバーの開口部をくぐり抜けてサウンドホール縁まで延伸していることがスタンダードなっています。さらに読み込んでゆけば、ここでハウザーが採用した配置はその後ホセ・ルイス・ロマニリョスの3本のハーモニックバーを垂直に通過する2本+2本の力木構造の基になったハウザーの力木設計へと移行する最初の段階とも見ることができます。レゾナンスはG# の少し下に設定されています。全体はセラック塗装仕上げ。表面板は高音側低音側ともに指板脇からボトムにかけての広い範囲で数か所の割れ補修歴があります。これはサウンドホール脇部分に一つと駒板下部分に一つの合計2枚だけ内側からパッチ補強されていますがその他の部分はすべて接着のみで補修されており、現状で使用には全く問題ありません。また表面板自体はこの時期に作られたものとしては(割れ等の症状を経たものとしては)歪みや波うち等の症状は最小限にとどまっています。表面板全体に弾きキズ、搔きキズ、打痕等あり、横裏板は右腕や胸の当たる部分に塗装摩耗見られますがトータル的には年代相応のレベルです。ネック、フレットは良好な状態です。ネックシェイプは普通の厚みのDシェイプ。弦高値は3.0/3.6mm(1弦/6弦 12フレット)、サドル余剰は0.5~1.0mmとなっています。糸巻はLandsdorfer、出荷時のオリジナルのままで、現在も機能的な問題はありません。
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ネック:セドロ
指 板:エボニー
塗 装:セラック
糸 巻:ランドスドルファー
弦 高:1弦 3.0mm /6弦 3.6mm
[製作家情報]
ヘルマン・ハウザー1世 Hermann Hauser I (1882~1952)。その比類ない完成度と以後のギター界全体への影響の大きさにおいて、20世紀最大の製作家とされ、現在もクラシックギター至高のモデルとしてフォロワーの絶えない「セゴビアモデル」を世に出したことで知られるドイツ、ミュンヘンのブランド(のちに現在のライスバッハに移ります)です。
高名なチター奏者、作曲家で製作もした多才な父ヨーゼフ(1854-1939)の影響を受け、18歳のころより自身もチター製作を始めます。ハウザー家が居を構えていたドイツ、バイエルン州のミュンヘンは当時非常にギター文化が盛んであり、ヘルマンはチターだけでなく合奏用ギターやリュート、そして彼の類まれな製作技術を知ることのできる顕著な例として現在でも有名な「ウィンナモデル」や「ミュンヘンモデル」など、父親に負けず劣らず多様で精力的な製作活動を展開しています。この当時まだトーレスから始まるギターの新たな潮流はドイツには入っていませんでしたが、ミゲル・リョベートそしてアンドレス・セゴビアという二人の名手が演奏旅行に訪れたことで、彼らの奏でる音色とともにスペインギターへの文化的需要が急激な高まりをみせます。
ヘルマンは1913年にリョベートに会い、彼の愛器トーレス(おそらく1864年製)に初めて触れ、その構造的革新性と音色の素晴らしさに感動します。そして1916年にもリョベートと再会しその時彼が所有していた1859年製トーレスを仔細に検分する機会を得て本格的にトーレススタイルのスパニッシュギター製作に乗り出します。リョベート自身からも多くのアドバイスを得ていくつもの試作品(と言ってもどれも高度に完成されたものですが)を製作。純粋にトーレスのレプリカに近いものから、それまで自身で作っていた様式とトーレスとを融合したようなものまであり、あるべき音響を求め試行錯誤を繰り返していたことがうかがえます(この時期に製作されたトーレスレプリカのギターは「リョベートモデル」としてのちにハウザー2世、3世によって復刻されます)。
そして1924年、ドイツに演奏旅行で訪れた若き日のアンドレス・セゴビアはヘルマンの製作家としての才能を高く評価し、自身が携えてきた1912年製マヌエル・ラミレス(製作は同工房の職工長サントス・エルナンデス)のギターを見せてレプリカの製作を促します。トーレスを再解釈し、より現代的でクラシック音楽の表現にトータルに応え得るマヌエルのギターにヘルマンは感動し、新たに探求と試作を始めます。それから10年以上の時を経て1936年に完成した一本は、トーレス~マヌエル・ラミレスのスタイルを基本としながらハウザー独自の音響感覚を盛り込み極めて高いバランス精度で全体を仕上げたもので、その未聞の音色の素晴らしさにセゴビアは心から感動し「これ以上のものは作らなくてよい」という有名な言葉で称賛しています。その言葉通り、セゴビアは翌年1937年に製作されたヘルマン・ハウザー1世のギターに持ち替え、1962年まで使い続け数多くの名演を生み出してゆくことになるのですが、これがギター史上至高の名品とされる「セゴビアモデル」で、現在の3世、4世(カトリン・ハウザー)に至るまでこのブランドのフラッグシップモデルとなっています。それはギターの完璧な理想形としてグローバルスタンダード化しており、世界中の製作家によって研究、フォローされ、また現在でもギタリストたちの垂涎のアイテムとなっています。
ハウザー家は戦禍を逃れミュンヘンからライスバッハに工房を写し、戦後も名品を製作。そのレガシーはハウザー2世(1911~1988)に受け継がれ、よりドイツ的なニュアンスを増した逸品を世に出してゆきます。
世界的に有名なオークションではクラシックギターのカテゴリーにおいてトーレス、ロベール・ブーシェと並び最高値で落札されている。
[楽器情報]
ヘルマン・ハウザー1世 1928年製の入荷です。1924年のセゴビアとの邂逅、そのわずか4年後に製作されたもので、1937年という絶巓へと向かう確かな足取りとして記憶されるべき逸品です。実際にセゴビア自身が翌年1929年の日本を含むアジアツアーの際に1928年製のハウザー1世をコンサートで使用しており、また後年ジュリアン・ブリームがやはり同年製のものを所有していたことはギターファンにとってのコアなエピソードとなっています。またハウザーはこの時期すべてが必然的に実験であるがゆえにかなり多様な作風で製作していますが、上記のセゴビア、ブリームが所有していたものと本器とはほぼ同様のものとして作られていたと思われます。
ハウザーによるセゴビアモデルはやや図式的にいえばスペイン的音響のドイツ的洗練化といえるもので、これは例えばフランスの名工ロベール・ブーシェがトーレスから出発し自身の(フランス的な)音響へと至る過程とも比較することのできるもので、1928年の段階ではそのスペイン的ニュアンスがまだ濃厚に感じられることが特徴として挙げられます。のちのハウザーのまるで鍵盤楽器のように定位感のしっかりとしたバランス感ではなく、力強くふくよかな低音(まさにBassとしての)とよく歌うクリアな高音(まさに声としての)との対照を軸にした音響設計で、各弦は異なるアイデンティティを際立たせながら、全体に彫りの深い響きを形成していきます。ここでハウザーは響箱の容量を活かしながら、オーディトリアムな奥行きを作り出すのではなく、むしろ箱全体のエネルギーを音に濃縮するようにして濁りのない音響を生み出していることが特筆されます。そしてその音の連なりが、スペイン的なうねりを持った躍動とは異なり、直線のようにして紡がれてゆくことで各旋律が線的な重層性を際立たせているところなどもすでにのちの1930年代の作風の萌芽を感じ取ることができます。さらに特筆すべきは音自体の異様なまでの説得力で、表現楽器としての非常なポテンシャルはやはりこの時点でのドイツギターにおける極点を示していたと言えるでしょう。
表面板力木構造はサウンドホール上側(ネック側)に2本、下側(ブリッジ側)に1本のハーモニックバーを設置。このうち下側のバーは高音側と低音側それぞれに長さ5cm高さ3mmほどの開口部が設けられており、サウンドホールの両脇には1枚づつ薄い補強板が貼られているのですが、これら補強板が一方の端は上側バーのところでぴったりと接しており、もう一方の端は下側バーの開口部を1cm弱ほどくぐり抜けたところまで伸びています。扇状力木は左右対称7本、これらの先端をボトム部で受け止めるようにハの字型に配置された二本のクロージングバーという設計。駒板位置に補強板はありません。ここで特徴的なのは下側ハーモニックバーの開口部をサウンドホール脇の補強板が通過するという配置で、通常は(例えばトーレスをはじめとして)扇状力木のほうがこのようなバーの開口部をくぐり抜けてサウンドホール縁まで延伸していることがスタンダードなっています。さらに読み込んでゆけば、ここでハウザーが採用した配置はその後ホセ・ルイス・ロマニリョスの3本のハーモニックバーを垂直に通過する2本+2本の力木構造の基になったハウザーの力木設計へと移行する最初の段階とも見ることができます。レゾナンスはG# の少し下に設定されています。
全体はセラック塗装仕上げ。表面板は高音側低音側ともに指板脇からボトムにかけての広い範囲で数か所の割れ補修歴があります。これはサウンドホール脇部分に一つと駒板下部分に一つの合計2枚だけ内側からパッチ補強されていますがその他の部分はすべて接着のみで補修されており、現状で使用には全く問題ありません。また表面板自体はこの時期に作られたものとしては(割れ等の症状を経たものとしては)歪みや波うち等の症状は最小限にとどまっています。表面板全体に弾きキズ、搔きキズ、打痕等あり、横裏板は右腕や胸の当たる部分
に塗装摩耗見られますがトータル的には年代相応のレベルです。ネック、フレットは良好な状態です。ネックシェイプは普通の厚みのDシェイプ。弦高値は3.0/3.6mm(1弦/6弦 12フレット)、サドル余剰は0.5~1.0mmとなっています。糸巻はLandsdorfer、出荷時のオリジナルのままで、現在も機能的な問題はありません。