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マヌエル・ベジード Manuel Bellido



New Arrival
〔商品情報〕
楽器名マヌエル・ベジード Manuel Bellido
カテゴリ輸入フラメンコ 中古
品番/モデルFlamenco Blanca
弦 長655mm
スペイン Spain
製作年1996年
表 板松 Solid Spruce
裏 板シープレス Solid Cypress
程 度※7
定 価時価
販売価格(税込)484,000 円
付属品ハードケース

ネック:セドロ
指 板:エボニー
塗 装:表板 セラック /横裏板 セラック
糸 巻:フステーロ
弦 高:1弦 2.0mm /6弦 2.5mm

[製作家情報]
マヌエル・ベジード Manuel Lopez Bellido 1939年 グラナダ生まれ。13歳の時に同地の家具工房Claudio Carmona 工房に徒弟として入り(その時すでに工房ですぐれた職人として働いていた友人のアントニオ・マリン・モンテロが彼に木工技術を教えています)、急速にその腕前を上げていきます。ある日友人から依頼されたバンドゥーリアの修理を手がけたことで楽器の構造に興味を持ち、やがて自らの生業とすることを決意、アントニオよりも先にCarmonaの工房を辞し、グラナダのメンター的存在として今では名高いエドゥアルド・フェレールの工房に16歳の時に入ります。しかし最初はカスタネットを主に製作、生活のため家具職人に戻ることも考えるなど迷った時期もあったようですが、彼の木工技術の才能を見抜いたエドゥアルドがバンドゥーリアとギター製作をフルタイムで行う職人として再雇用し、ここで遂にマヌエルは本格的な楽器製作に従事することになります(このあとアントニオ・マリンもまたエドゥアルドの工房に入り、再び2人は同僚となります)。そして1960年、兵役を終えた21歳の時にマヌエルは独立を決意し、盟友アントニオとともに共同ブランドMontero y Bellido を起ち上げます。

最初は自分達のラベルではなく師フェレールの工房品として、またはマヌエル・デ・ラ・チーカのラベルで出荷するなどして生計を繋ぎ、何度か工房の移転を余儀なくされるなどの困難もありながら、次第に顧客を獲得してゆきます(R.S.デ・ラ・マーサ や パコ・デ・ルシアなどの名手たちからのアクセスも入るようになります)1970年代に入ると日本をはじめ国外からの注文でますます需要も高まり、工房にはマヌエルの弟ホセ・ロペス・ベジード(1943~)、アントニオの甥のパコ・サンチャゴ・マリン(1946~)、そしてラファエル・モレーノ(1954~)らが徒弟として加わり生産体制を強化してゆきます。しかし1973年にパコ・マリンが独立し、その翌年アントニオのもう一人の甥ホセ・マリン・プラスエロ(1960~)が工房に加わりますが、ここでマヌエルとアントニオの共同作業は終わりを迎え、それぞれ独立して製作を行うことになります(ホセ・マリンはこの後アントニオの工房で製作を始めることになります)。

マヌエルのギターは師エドゥアルドから受け継いだグラナダの伝統的な作風を基礎としながら、かなり大胆に構造的な試みを現在に至るまで行っており、しばしばそれはモダンギター的な趣さえも呈するものであるのにも関わらず、音色における彼の個性は通底していることはある種驚愕に値すると言えます。反応のヴィヴィッドな木質感たっぷりの響きはいかにもグラナダ的ですが、音の表情にはどこかストイックなところがあり、これがなんとも渋い味わい。フラメンコモデルを主に製作しており、このジャンルの音楽的要望にしっかりとレスポンスし、かつ汎ジャンルなニュアンスを多く含んだ音はやはり独特の魅力を備え、コアなファンの評価も高いブランドとなっています。

現在はPaseo de Las Palmas,5 の細長い工房で彼の息子たち(ヘススとマウリシオ、ただしそれぞれ独立したブランドとして)とともに製作を行っています。


[楽器情報]
マヌエル・ベジード製作 1996年 フラメンコ ブランカ Used です。ラベルにはペンで書かれた「1995」の末尾の数字「5」を「6」に書き直した跡がありますが、裏板のバーの一本には「GRANADA 1992」とやはりペンで書かれています。ラベルと本体に書き込まれた年代の相違の理由については正確なところは不明なのですが(おそらくは製作着手が1992年で完成が1996年ということかと思われます)、ギターは1990年初頭のこのブランドの特徴的な様式と構造を備えており、音色的にも円満にグラナダ的ニュアンスを濃厚に感じさせるものになっています。

構造的には実に多様な試みを現在に至るまで実践しているブランドですが、本器での表面板力木配置もとても興味深いものになっています。サウンドホール上側(ネック側)に2本、下側(ブリッジ側)にも2本のハーモニックバーを設置し、このうち一番ブリッジ側の1本は低音側から高音側にかけてやや斜めに下がってゆくように設置されており、しかもこの4本のバーのそれぞれが高さも形状も微妙に異なっています。サウンドホールを広い範囲で囲むように補強プレートが貼られ、その外側には横板に添うようにして高低音側それぞれに短い(ホール上下に配されたバーの間の長さだけ)1本ずつの力木が設置されています。扇状力木は9本が設置されており、このうちセンターを含む低音側5本のみその先端をボトム部で受け止めるようにクロージングバーを設置(通常では高音側と低音側それぞれに一本ずつ、V字型になるように配置される)、しかもその支点はエンドブロックの中心点すなわちセンター力木の先端部分ではなくエンドブロックのやや高音側寄りの位置に設定されています。そしてブリッジの位置には横幅いっぱいに薄い補強プレートが貼られているという全体の配置。レゾナンスはG#の少し上に設定されています。

サウンドホール上下に設置されたハーモニックバーの本数と配置関係、9本の扇状力木という設計は直ちにバルセロナの名工イグナシオ・フレタの力木配置を想起させる特徴的なものですが、同時にフラメンコギターにおいてこの構造を採用したのはおそらくスペインではこのブランドだけかと思われます。ただしマヌエルは明らかにフレタの構造を参照しながらも、完全にアダプトするわけではなく、上述の低音側だけのクロージングバーなど細部での創意を加えており、あくまでもオリジナルのフラメンコモデルとして着地させています。

実際にここで聴かれる音響はフレタ的音色とは全く異なる、円満にアンダルシア的なもので、音色や発音、音の身振りに至るまでフラメンコ的なキャラクターと機能性を十全に備えたものとなっています。しかしながらこの製作家の、豪快さやはじけるような明るさというよりはある種のスマートさ、あるいは音楽的な意味での暗さのようなものがほのかに内在し、それが全体の表情に独特の渋みを付与しているところは、彼ならでは特徴として挙げておくべきでしょう。

ボディ全体とネック裏に至るまでフラメンコギターとして十分に弾き込まれてきたことによる弾き傷、スクラッチ傷、打痕等が多くあります。割れ等の修理歴はありませんが、表面板のゴルペ板は一度貼り換えられた形跡があります。セラック塗装はおそらく製作時のままで再塗装などはされていないようです。ネック、フレット、糸巻きなど演奏性に関わる部分は問題ありません。ネック形状はこのブランドに特徴的な薄くフラットなDシェイプでとてもコンパクトなグリップ感。弦高値は現在値で1.8/2.8mm(1弦/6弦 12フレット)となっており、奏法によってはビリツキが発生する場合がありますが、現状のままとしております。サドル余剰は1.5~2.0mmとなっています。重量は1.42㎏。

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