尾野氏は自身のオリジナルモデルのほか、ロベール・ブーシェ、ヘルマン・ハウザーそしてアントニオ・デ・トーレスといったいわゆるオマージュモデルも製作しており、それぞれ氏ならではの再解釈によって洗練を経たものとして、レプリカの枠に収まらない独自の存在感を持つに至った個体となっています。ロマニリョスモデルとして彼が採用することになる構造は、ロマニリョスの自著「Making a Spanish Guitar」の中でPlan1として掲載されているもので、トーレス~ハウザー的美学のひとつの帰結として音響的完成度の高いシステムとされています。このトーレス、ハウザーそしてロマニリョスの三人によって弁証法的に統合された音響をさらに再解釈しようという、ギター製作史そのものを俯瞰するような大がかりな仕事を、尾野氏はあっさりと達成しています。ここで聴かれる明晰で、音楽的にどこまでも精密な音響はまさに氏の美学の到達点ともいえるもので、奏者はこの透明でかつ濃密な音響に自由に色を付けてゆくことができます。そしてこの、最上の楽器は奏者が完成させるべきものだというポリシーこそはロマニリョスとしっかり通底する製作哲学となっていること、その意味においても本作がオマージュモデルとしての特別な意義を持っていると言えます。
ネック:セドロ
指 板:エボニー
塗 装:表板 セラック
:横裏板 セラック
糸 巻:スローン
弦 高:1弦 2.6mm
:6弦 3.8mm
〔製作家情報〕
尾野薫 Kaoru Ono(ラベルはCaoru Onoでプリントされています)1953年生まれ。中学生の頃からギターを弾き始め、大学の木材工芸科在学中その知識を活かして趣味でギターを製作。 その類まれな工作技術と音響に対するセンスは注目を集めており、愛好家達の要望に応えて27歳の時にプロ製作家としての本格的な活動を開始。 同時期にアルベルト・ネジメ・オーノ(禰寝孝次郎)に師事し、彼からスペインギターの伝統的な工法を学びます。 その後渡西しアルベルト・ネジメの師であるグラナダの巨匠アントニオ・マリン・モンテロに製作技法についての指導を受け、 2001年には再びスペインに渡りホセ・ルイス・ロマニリョスの製作マスターコースも受講しています。 さらにはマドリッドの名工アルカンヘル・フェルナンデスが来日の折にも製作上の貴重なアドバイスと激励を受ける等、 現代の名工達の製作哲学に直に接し学びながら、スペイン伝統工法を科学的に考察し理論的に解析研究してゆく独自の方法でギターを製作。 日本でのスペイン伝統工法の受容の歴史において、アルベルト・ネジメと並ぶ重要な製作家の一人として精力的な活動を展開しています。 その楽器はあくまで伝統的な造りを基本としながら、十分な遠達性、バランス、倍音の統制において比類なく、極めて透徹した美しい響きを備えた、 現在国内のギター製作における最高の成果を成し遂げたものとして高い評価を得ています。
尾野薫氏は2024年7月その生涯を終えられました。謹んで哀悼の意を表します。
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〔楽器情報〕
尾野薫 2017年製作のホセ・ルイス・ロマニリョスモデル No.289 Usedです。2024年に世を去ることになるこの碩学の職人にとっては、図らずも彼のレイトワークスの一つとして位置づけられてしまうことになる本作は、彼の最大の特徴と言える精妙極まりない音響設計とオリジナルであるロマニリョスとの美学とが信じ難いほどの高次において1個のアイデンティティを持つに至ってしまった稀有な一例と言えます。
尾野氏は自身のオリジナルモデルのほか、ロベール・ブーシェ、ヘルマン・ハウザーそしてアントニオ・デ・トーレスといったいわゆるオマージュモデルも製作しており、それぞれ氏ならではの再解釈によって洗練を経たものとして、レプリカの枠に収まらない独自の存在感を持つに至った個体となっています。ロマニリョスモデルとして彼が採用することになる構造は、ロマニリョスの自著「Making a Spanish Guitar」の中でPlan1として掲載されているもので、トーレス~ハウザー的美学のひとつの帰結として音響的完成度の高いシステムとされています。このトーレス、ハウザーそしてロマニリョスの三人によって弁証法的に統合された音響をさらに再解釈しようという、ギター製作史そのものを俯瞰するような大がかりな仕事を、尾野氏はあっさりと達成しています。ここで聴かれる明晰で、音楽的にどこまでも精密な音響はまさに氏の美学の到達点ともいえるもので、奏者はこの透明でかつ濃密な音響に自由に色を付けてゆくことができます。そしてこの、最上の楽器は奏者が完成させるべきものだというポリシーこそはロマニリョスとしっかり通底する製作哲学となっていること、その意味においても本作がオマージュモデルとしての特別な意義を持っていると言えます。
オリジナルのロマニリョスギターにおける、音どうしの親密な集合体としてのトーレス的響きに粘りのある発音特性を付加し、一音一音に弦の震えと弾性を十分に感じさせるような音響特性、そしてやはりスペイン的な生々しい不整合性をも含む全体をしっかりと本質的につかみながら、尾野氏はここで一気に洗練させ、さらに解像度をぐっと上げて音響化します。その手際は本当に見事なもので、さらにはその音響の音楽的トータルバランスは比類なく精密なものとなっています。
尾野氏らしい安定した、十分に低い重心感覚のもと、すべての音がそれぞれ中心として成立しうるような有機的集合体としての音響が構築されており、完璧な和声感、心地良い弾性感をともなった発音、「gentle」なと言いたくなるような上品な粘り、整った点の繋がりとしての旋律等々どれも極めて音楽的な身振りと佇まいで素晴らしい。さらに特筆すべきは発音から減衰までの音像の密度の持続、そして終止のあとの沈黙さえ音楽的である点でしょう。
表面板力木配置は上述のロマニリョスのオリジナル設計に準拠したものとなっています。サウンドホール上側(ネック側)に2本、下側(ブリッジ側)1本の計3本のハーモニックバーを設置。それらのすべての高音側と低音側にはそれぞれ開口部が設けられており、力木が2本ずつその開口部をくぐってバーと直角に交差しながら表面板上部縁から3本目のバーのところまで設置されています。そしてくびれ部分から下は左右対称7本の扇状力木とそれらの下端をボトム部で受け止めるように逆ハの字型に配置された2本のクロージングバー、駒板の位置にはほぼ同じ面積で薄いプレートが貼られているという全体の構造。この緻密な計算に基づいた構造を本モデルは忠実に再現しています。表面板と横板との接合部に設置されるペオネス(木製の小さなブロック)は大小のサイズ違いのものを交互に設置しており、この点もオリジナルに準拠。重量は1.72㎏。レゾナンスはF#~Gの間に設定されています。
内部構造、ボディのテンプレートに関してはオリジナルに準拠していますが、ロゼッタやパーフリングなどの意匠は尾野氏のデザインによるものとなっています。横裏板は上品な薄茶の中南米ローズウッドが使用されており、裏板のセンターには美しいフレイムメイプルをあしらって、さらにこれと呼応するようにヘッドプレートにも同様に慎ましく細工することで洒脱なアクセントにし、全体の一貫した雰囲気をつくりだしています。
とても良好な状態のUsedです。割れや改造等の大きな修理履歴はありません。表面板は指板脇や駒板下、サウンドホール付近などに目を近づけてそれと認識できるほどの微細なキズのみとなっています。横板はボトム部分に浅い搔きキズがやや多めにありますが、裏板は経年の湿度変化等による塗装のわずかな変色のみできれいな状態を維持しています。全体の塗装は出荷時の仕様のままのセラック塗装。ネック、フレット、糸巻き等の演奏性や機能性に関わる部分も全く問題ありません。ネック形状はやや厚めのDシェイプ、弦高値は2.6/3.8mm(1弦/6弦 12フレット)でサドル余剰は1.5~2.0mmとなっています。