| ギターの昔話(2) |
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こうして北ヨーロッパではいわゆる19世紀ギターと言われる、ラコートタイプのギターが主流になります。主に上流階級で人気のあったギターですがいつの間にかブームは去ります。スペインでは、1800年前後のギターの改革がトーレスタイプの形に落ち着きます。元々フラメンコや歌の伴奏などで庶民に人気があったギターですが、タレガやセゴビア達により1900年前半に次のギターブームが始まり、トーレスタイプのギターが広まり、今のクラシックギターの幕開けとなります。トーレスのギターは、当時の19世紀ギターと比べ、弦長を長く、ボディーサイズは大きく(体積増)、表板は薄く、扇形力木やトンネルなどの力木の変更、低いウルフトーン、トルナボスなど今までとは違う発想で作られています。これらの変化はトーレス一人の発想ばかりではなく、トーレスが手にしたギターから色々なヒントを得て、一つの形として作り出されたものです。トーレスは演奏も上手で、自分の耳で自分にとっていい音を聞き比べ、それをギター作りに生かしたのだと思います。 トーレスの経歴は、ロマニリョスの著書に詳しく出ています。ここに簡単な略歴を作りました。 1817年 6月13日 アルメリアに生まれる。 1858年に受賞したブロンズメダルはギター部門で3位だったわけではないようです。当時ヨーロッパでは各国の珍しい物や、産業革命で生まれた最先端の発明品などを集めた博覧会や展覧会が人気でした。もし金、銀の賞があるとすれば、最新の時計や印刷機やミシンだったかもしれません。 トーレスは33歳頃にフリアン・アルカス(1832〜1882)と出会いますが、その親交は深く、アルメリアに戻ってからも続きます。アルカスの父親はアグアドのもとで学んだギター愛好家で息子を小さい頃から教えていたようです。才能のあったアルカスは10代からコンサートを開いています。1863年のコンサートを聞いた少年タレガは感動しアルカスに弟子入りします。アルカスは当時流行りのフラメンコやオペラの影響を受けながらも、ソルやアグアド達が築いたギター文化を次の世代に伝える大きな役割を果しました。アルカスの曲をマリア・エステルが弾いたCDがありますが、タレガに繋がる過渡期の音楽は興味深く、ある意味とても新鮮です。 1800年後半マドリ−ドでホセ・ラミレス一世がフランシスコ・ゴンサレスの工房から独立して開業します。フランシスコ・ゴンサレスもトーレスと同じように当時のスペインギターの新しい試みを取り入れ、ギターの大型化や7本バーを試みています。トーレスの存在は知っていて影響も受けていたと思えます。師匠の教えに忠実だったホセ・ラミレス一世の工房には、ラファエル・カサナ、エンリケ・ガルシア、フリアン・ゴメス、アントニオ・ビウデス、それと弟のマヌエル・ラミレスが弟子として働いていました。弟は1891年独立して新しい工房を開きます。兄よりは斬新的でよりトーレスを研究し、コピーを試みたり、現在使われているフラメンコギターの基礎となるものも作りました。当時はフラメンコギターの注文の方が多かったようです。弟子にはモデスト・ボレゲーロ、ドミンゴ・エステソ、サントス・エルナンデスなどがいます。ラミレスの弟子達はマドリード派としてスペインギターに大きな影響を与えます。トーレスは個人製作家でしたがラミレスは分業や機械化を取り入れ、職人達に技術を教え、その生活を支える優秀なマエストロでした。ホセ・ラミレスの家系は二世、三世、四世と続き、今は三世の娘のアマリアが代表です。マヌエル・ラミレスには子供がなく1代で終わりました。 1912年マヌエル・ラミレスの工房にマドリードのコンサートためにギターを貸して欲しいと、まだ無名の19歳の青年セゴビアが訪ねます。演奏に感激したマヌエルは一台のギターを進呈し、セゴビアはその後25年間世界各地のコンサートで使用します。1924年(1923年?)のドイツ公演の時、セゴビアとハウザー一世が出会い、スペイン的なギターの製作のアドバイスをしています。その後もセゴビアはパリやソビエト、ロンドン、アメリカなど世界各地を回り、1929年には日本にも来ました。1936年、スペイン内戦が始まりセゴビアは南米に移住します。1937年にはハウザー一世のギターに持ち替えますが、セゴビアが納得するギターを作るのに、ハウザー一世は13年かかったわけです。フランコ将軍を支援するドイツ空軍が内戦中のスペインのゲルニカの町を爆撃したのが1937年でした。他国の製作家が作ったギターを使おうと決めたセゴビアにも迷いがあったと思いますが、ハウザー一世がとても魅力的だったのだと思います。また南米に拠点を移したセゴビアとハウザー一世との交流は続いたわけですから、二人には民族や政治を超えた深い交流や信頼の関係があったと想像できます。製作家にとっては、うらやましい関係ですね。 1900年後半の世界的なギターブームは、ギター製作の伝統のない国でも起こり、それぞれの国で初代となる製作家も生まれます。彼らはお手本となるギターをコピーすることから始めます。民族意識の強いヨーロッパの製作家の元で修行するのは難しいですから、それぞれの国でそれぞれの方法でギターを作ります。それはある意味でそれらの国でよしとする音色です。演奏者のレベルや、聞き手の求める音色や、売りやすいギターの値段など要素は色々ですが、それがその国の文化になっていくわけです。しかし伝統のない新しい国では、新しい発想でギターを作れる環境でもあり、今までに無いギターを作る製作家も現れます。 スモールマンは色々な試みをします。同じ裏、横で表板だけ取替え、板厚と力木の関係を調べ、カーボンや粘土(ウルフトーンの調整)なども使用します。スモールマンはヨーロッパを中心とする伝統的な工法の流れと違う新しい発想でギターを作りました。それをジョン・ウイリアムが使うことで世界に知れ渡ります。今までと違う新しい音は、賛否両論で迎えられます。軽いタッチでも気持ちよく鳴るのは麻薬的に気持ちがいいのですが、音色の変化は少し乏しいです。昔のジョンの音の方がいいとか、愛国心が強いからとか、セゴビアに対する反発で違う音色が欲しかったとか、色々な意見が聞かれました。古いクラシックギターのファンからはスカイを結成したころから異端視される向きもありました。ジョンがステージでPAを使用することにも反論する人がいます。ジョンぐらい上手ければ楽器の違いはあまり関係ない気もしますが、ジョンが選んだことで今のスモールマンがあるわけです。ヨーロッパの秘密主義的な製作家と違い、スモールマンは技術を公開します。もともとギター製作の文化が薄かったオーストラリアですが、今ではラティスタイプの製作家が沢山います。勿論、ヨーロッパの伝統的なギターを研究しているオーストラリアの製作家もいます。 スモールマンの次に現れたのがドイツのマティアス・ダマンです。初期の頃はトーレスのコピーもしていましたが、新しい表板の試みをしました。ダブルトップと言われる表板は3層になっています。中心の層はカーボンファイバーシート(デュポン社のNOMEX)で上下は松や杉を貼り合わせています。従来の板と同じ厚みでも軽くて丈夫になるようで、力木の配置や構造は同じでも鳴りが良くなります。シートの形や面積は色々で、接着剤の種類や方法も色々なようです。ダブルトップの組み合わせだけでも、松松、松杉、杉松、杉杉の4種類あります。多分、色々な組み合わせを色々な接着で試行錯誤している製作家は沢山いると思います。普通にギターを作っていても、表板の持つ個性は多様で力木との組み合わせで無数の音色になる気がします。そこに新しい無数の個性を持つ表板が加わるのですから益々複雑になります。全体の印象としてダブルトップはよく鳴ると感じるだろうな、と思います。よく鳴ることだけで良いギターとは言えませんが、よく鳴る音色の違いを言葉にするのも難しいです。
つづく |